2018年の2月、この年の旧正月を、福建省東部にある、古田県という場所の友人宅で過ごさせてもらった。
合計でおよそ7日間くらい居候させてもらったのだが、ある日のこと、鎮の市場(日本でいうと村に当たるか)を一緒にプラついて、何か珍しいものがないかと探していると、お肉や野菜の山の間に、非常に見慣れた光景を目にしてしまった。
なんと納豆が売られていた。
あまりにも突拍子もない納豆の登場だったので、一瞬わけがわからなくなってしまった。
というのも、以前読んだ納豆研究ノンフィクション、『謎のアジア納豆』(高野秀行著)という本の中で、日本を除いたアジア納豆の分布の東端は、中国湖南省である、とされていたからだ。湖南省といえばここよりも1000km 近く西側である。つまり、私の見たこれが本当に納豆であるならば、その分布の東端が1000km 近く更新されてしまうことになる。
補足しておくと、納豆は実は日本だけではなく、ネパール、ブータン、ミャンマー、タイ、ラオス、中国西南部などのアジア山岳地帯に広く分布している。南アジアの山岳地帯から湖南省にかけてと、日本列島までの間には納豆の分布域に大きな隔たりがあり、高野氏も著書の中で、この不思議さについて指摘している。
この空白地帯、地図でみるとちょうど空白地帯のど真ん中で、納豆が売られている?
それがために、私は興奮して、「ここでも納豆を食べるのか!」と友人に聞くと、「そうだよ」と普通の返事が返ってきた。「日本でも納豆食べるって知ってるよね?」と聞くと、「聞いたことあるかも」とまた普通の返事が返ってきた。
納豆は中国の普通話でも「納豆」というが、現地の古田話ではこれを「tii dau」と呼ぶそうだ。「 tii 」はねばねばした柔らかいもの、「 dau 」は豆のことだと教えてくれた。
私が興味を示しているのをみると、友人が一袋購入してくれた。「お母さんに晩御飯で出してもらおう」とのこと。納豆売りのおばちゃんがスプーンでビニール袋に詰めてくれた。豆は納豆のように、しっかりと糸を引いていた。
納豆を実食
さて、お楽しみの晩御飯の時間である。
料理が出揃うと、みなおもむろに食事を始めた。
私は真っ先に、お皿に盛られた納豆を、スプーンですくってご飯にかけた。
あれ?おかしいぞ。
全然糸を引いていない。友人に指摘してみると、そのまま食べると衛生的じゃないから、塩茹でしてから食べるのが普通、なんだとか。なんじゃそりゃ。
糸をひかない少しふにゃふにゃした豆ではあるものの、味は間違いなく納豆。うす味なので、めちゃくちゃご飯がすすむという感じではなかったが。
数日後、友人のおじさん宅へご飯を食べに行った時にも出てきたし、翌年、つまり今年の冬に友人宅へお邪魔した時にも出してくれた。よほど頻繁に食べるのだろう。
中国ならではの現象
市場からの帰路、納豆を見つけて興奮していた私と友人の間に、あまりにも温度差があったので、「まさか中国で納豆を見つけるとは思わなかった」と驚きを伝えると、「え、納豆って他の場所にないの?」と友人。
出ました。
これは中国では非常によく遭遇するパターンである。自分の住んでいる土地以外の場所についてあまり詳しく知らないので、自分たちの特色に気がつきにくいのだ。
この日市場に行ったのも実は、「萝卜干」と「豆腐皮」という彼に聞いた古田の名物を探しに行っていたのだが、彼もまさか「納豆」が独特なものであるとは気がつかなかったらしい。
そしてその逆も然りである。たとえ周囲地域の人であっても、その場所の特色についてはあまり知らないことが多い。あとで実際に、古田から高鉄で30分離れた福州の人にも聞いてみたが、やっぱり古田に納豆があることを知らなかった。
もしも中国で別の場所へ行って、「中国って納豆あるの?」と聞いても、おそらく「納豆は中国にないでしょう。あれは日本の食べ物でしょ?」という答えが返ってくるはずである。
中国は広いのである。「本場の中華料理って美味しい?」などと聞かれたとしても、彼らは(私も含め)自分が行ったことのある場所についてしか答えられないのだ。その答えが中国全体を代表すると思い込んでしまうと、他の広大な地域について、大量の漏れが発生してしまうのである。
このシステムが、古田の納豆をずっと隠蔽してきたのだと思う。これが中国の奥深さ、私を飽きさせないところのひとつである。21世紀の現在になっても、中国にはまだまだどんなものが隠されているのかわからない。
ではなぜ福建省に納豆が?
ではなぜ福建省に納豆が存在しているのか。
先の『謎のアジア納豆』の本の中では、納豆を作る湖南省の苗族が、浙江省の温州市に大量に出稼ぎにきていて、温州市内では納豆を売っている場所がある、と紹介されている。
確かに古田と温州は地理的に近い。高鉄で3時間程度の距離である。地図だけ見ると、文化的な交流があるように見えるかもしれない。しかし、古田と温州の間には無数の険しい山谷が行き来を阻んでいる。山は海沿いまで飛び出して、平地をほとんど残さない。ここでの高鉄3時間はかなり遠いことになる。さらに経済的な交流の方向が違っている。古田は主に閩江に沿った下流の都市、福州との経済的な結びつきが強いので、温州とのやり取りはそんなに重要ではない。話している言葉も全然違う。
それに加え、中国の田舎では、特に食文化に関してはほとんど地域間の融和が進んでいない。食に関しては相当に保守的なのである。最近になって突然各家庭が納豆を食べ始める、というのは考えにくい。
それでは何か他に理由があるのか。
ある。
あくまで仮説だが、そのカギは福建省と浙江省で唯一の少数民族、畲族にあるのではないかと思う。畲族とは、浙江省と福建省にまたがる山岳民族で、人口70万人ほどの少数民族である。古田やその付近にも居住している。
彼らの来歴が面白い。もともとは広東省の山地に住んでいたが、明の時代にそろって軍隊に編入させられ、軍事上の理由で現在の浙江省から福建省にかけての地域に移住させられたそうだ(主に倭寇防衛のためだと考えられる)。
そして畲族の話す畲語は、言語学上では「苗瑶語系」に分類されている。高野氏の本で紹介された納豆を作る苗族と同じ語系に属するのだ。現在の人類学では、人類の移動を考える際に、考古学、生物学、言語学からそのルートをたどるが、同じ語系に属しているとすれば、その祖先も同じであった可能性が高い。彼らが納豆をはるばる福建省まで運んできたのではないか。そして、古田に住む漢族が、その畲族に影響されて納豆を食べ始めたのではないか。
このことを古田の友人に伝えてみると、少し考えたのちに、「確かにそうかもしれない!」と、机を叩いて同意してくれた。彼曰く、少し前の学校の課題で、畲族について調べるための資料を漁っていた時に、畲族の文化風習に関する記述が、自分たち漢族と同じ部分がたくさんあることに気がついたという。ここで彼の言う「漢族」とはあくまで古田の漢族のことである。
「もしかすると、、古田の漢族はすでに畲族と同化しているのかもしれない。いつもいつも少数民族の方から漢族と同化して漢化するとは限らないじゃないか!」
彼は現在、大学で人類学を学ぶ2年生である。よその学者が書いた古田に関する文献に多くの間違いを見つけ、これは自分でどうにかしなくてはならない、と、休みのたびに家に帰ってはあちこちでインタビューを行うなどして、今では古田の文化について長老並みに詳しくなっている。私はこれからも彼を応援していきたい。