しぼりたてチャイナ

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中華料理はなぜ辛いのか?実はせいぜい200年程度しかない辛ーい中華の歴史

 

「中華料理!」と聞くと「辛い!」という味覚が反射神経的に頭に浮かぶのではないでしょうか。

 

でも、中華料理ってどうして辛いのでしょうか?少し考えてみると、これはとっても不思議でとっても興味深い問題であることに気がつきます。

 

ご存知の通り、唐辛子はトマトやとうもろこしと同じように、中南米を原産とする作物です。コロンブスが15世紀にアメリカ大陸を発見してから、ようやく世界中に拡散しはじめた食べ物なのです。

 

つまり、中国には数千年の歴史の中で、唐辛子などは全く存在していなかったことになります。すごく遅れてやってきた最近の流行の食べものであると言ってもいいかもしれません。

 

それにもかかわらず、現在の中国はこのありさまです。外の世界からやってきた唐辛子に一瞬にして味覚を征服されてしまったようです。

 

いったいどうしてなのでしょうか。どうして日本は征服されずに済んだのでしょうか?そして韓国や中国、東南アジアではなぜ広く受け入れられるようになったのでしょうか?

 

今宵少しその謎について考えてみたいと思います。

 

中国に唐辛子がやってきたのは約400年前

 

手元に1冊、素敵な本があります。

 

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『中国食辣史』という、2019年に出版された本で、中国における唐辛子の歴史を様々な方面から探っています。素敵です。

 

この本によると、中国の文献で最初に「唐辛子」という意味の「番椒」が登場したのは明の時代の末期、1591年に刊行された『遵生八笺』という書籍の中の一文だそうです。本には「味辣色红,甚可观」と記載されています。作者の高濂は浙江省杭州人で、絵画や書道、戯曲や園芸、食文化などに造形が深い文化人だったということです。

 

この高濂を含めて、3人の作者がこの時期に唐辛子について記しています。そのうち2人が浙江杭州人、1人は山東省の临清人でした。

 

当時の唐辛子は「花草」を紹介する部分に紹介されているだけであって、「野菜」の項には出てこないようです。これはつまり、唐辛子がやってきた当初は観賞用として栽培されていたのであって、食用されていたわけではなかったことになります(日本と同じですね)

 

唐辛子、見るぶんにはいいのですが、口に入れると強烈に「痛い」ですから、誰も料理に使おうとは思わなかったんですかね。

 

ちなみに日本の文献に最初に唐辛子が登場したのは1552年と、中国よりも40年ほど早いそうです。ポルトガルの宣教師が九州豊後の大友氏にプレゼントした、という記載があるそうです。 

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唐辛子って食べものなの?という時期がさらに200年くらい続く

浙江省杭州の文献に初めて唐辛子が登場してから、100年あまりが経ったころ、今度は内陸部の貴州省で突然記載が増え始めます。しかも今度は観賞用ではなく、はっきりと「食用である」と記載されているのです。1721年に刊行された『思州府志』には「海椒,俗名辣火,土苗用以代盐」と記載されています。作者いわく、これが中国で初めて食用として唐辛子が記録されたものになると言います。

 

「思州」とは現在の湖南省重慶市貴州省が交わる山岳地帯のあたりです。唐辛子は杭州から100年かけてゆっくり長江を遡上して行ったのではないか、と作者は推測しています。

 

そしてポイントになるのが、「土苗用以代盐」という部分です。土家族と苗族でしょうか、地元の民族が唐辛子を塩の代わりとして使用している、という意味になります。

 

唐辛子を塩の代わりにする?現在の感覚でいうと、唐辛子が塩の代わりになるなんて、なんだか突拍子のない考えのように思えてしまいます。

 

でも日本語の「辛い」という言葉をよく考えてみるとわかるかもしれません。日本語ではしょっぱいものを食べたときや、山椒を食べてヒリヒリするとき、わさびを食べて鼻にツーンと抜けるとき、これらをすべて「辛い」という言葉で表すことができます。おそらく、口腔に刺激を与える味覚全般を「辛い」と言うのではないでしょうか。

 

唐辛子は海外からやってきた体験したことのない新しい味覚を日本人にもたらしましたが、日本人的な語感でいうと、これも「辛い」という味覚の範囲に収まる味だったんですね。

 

さらにもう1つ重要な点として、人類の生存に欠かすことのできない「塩」の存在があります。

 

海辺に住む人々は豊富な海塩をいつでも得ることができますが、内陸部に住む人にとって、塩の確保は死活問題です。中国の内陸部には塩が生産できる「塩鉱」が50カ所ほどあるのですが、貴州省には見事に1つもありません。

 

ということで、貴州省でも特に塩が不足していた山地の民族が唐辛子を食べ始めた、ということになるんでしょうか。

 

しかし唐辛子の普及はこの後もおよそ100年間、加速することがありませんでした。中国のその他の地域では観賞用か、もしくは漢方薬として利用される程度でした。

 

中国のその他の地域に唐辛子の食用が広まり始めるのは19世紀に入ってから、つまり今から200年ほど前になって、ようやく貴州省の周辺地域に普及し始めます。

 

そして20世紀の始め、つまりは今から100年前になって、ようやく現在の貴州省四川省雲南省湖南省江西省湖北省西部という激辛エリアが形成されたということなのです。

 

なんだよ、唐辛子を使った辛い中華料理って、全然新しいじゃん。

 

それじゃあ今までの中華料理は全く辛くなかったってこと?

 

今までの中華料理はどんな味付けだったの?

 

次回に続きます。