2019年の夏休み、、
普段からよくつるんでいるLくんと、長期間の旅行へ行くことになった。
生まれも育ちも福建省であるLくんは、これまで福建省から外へ出た経験が、ほぼないらしい。(小学校のときに将棋大会で江蘇省に行ったことはある)
ふだんから福建省各地の文化や風習の違いについて敏感なLくん。そんな彼を福建省の外に連れ出して、知らない世界を見せてあげたら、彼はどんな反応をして、何を発見するのだろう。
外国人の私が中国人の彼を案内するのもおかしな話だけれど、L君は連れていって連れていって!とすっかり乗り気になってしまった。
どうやら旅行のルートも、私のいいかげんな感性にまかせて決めてよいらしい。そこで私は適当に地図を開いて、じっくり眺めていると、何やら美しいルートが浮かび上がってきた。
福建省の厦門から出発して、私がまだ行ったことのない都市や辺鄙な農村部をじっくり巡りながら北上して、最終的に東北部からロシアに入境するという、まったくもって計画性のないルートだった。
それでも地図上に浮かんだそのルートを眺めていたら、眼の前に青々とした東北の針葉樹林がちらついたりして、がぜん旅行欲が湧いてきた。
「いいね、行くぞロシア!」
Lくんも悪ノリがひどい人なので、その場で列車のチケットを買って、翌朝出発しようということになった。
今回はそんな計画性のない旅行の記録から。
仙游県へ
1日目の目的地は仙游県と莆田市。
どちらの場所も、中国へ遊びに来た観光客がまちがっても行かない都市である。
外国人どころか、中国人もほとんど観光に行かない。莆田市の南側には、歴史を誇る泉州と、リゾート厦門が、そして北側には、福建省のドンである福州市があるため、どうしても影が薄くなってしまう。
私も福建省へ来てからいろんなところへ出かけたが、莆田だけは出かける機会がまったくといっていいほど訪れない。だからこそ無理して行くしかなかった。
ただし福建省ではどんな田舎へ行っても必ず面白いものが見つかるので、莆田でも何か見つけられるんじゃないかと、けっこう期待していた。
さて、福建省の海岸線を縦断する列車に乗り、仙游駅で下車した私たち。
グーグルアースの衛星写真を頼りにして、駅の周辺にある古い集落を一つ一つ歩きまわってみることにした。
なんだかそれっぽいものを見つけては、ふむふむと写真を撮ってみたり、観察してみたりした。
伝統的な作りを残していると見られる仙游の家屋。
面白い!と思ったポイントが一点。
民家の屋根は閩南系(福建南部)の住宅と同じ赤瓦で、花崗岩で作られている一階部分も閩南民家と同じ。なのに二階建ての家が多い。ここは平家がほとんどの閩南住居とは違っている。
二階建てといえば、福州周辺の民家がみんなほとんど二階建て作りなのだ。
つまりは、福州と閩南という、福建省の二大勢力のちょうど真ん中に位置している莆田市では、両方の影響を受けて、住居のつくりがハイブリットになっている、ってこと?
(あくまで素人目の観察)
それから二階部分の真ん中あたりに、中途半端に小さいベランダみたいなものが開いているけど、これは莆田オリジナルなのかな?福州周辺の民家なら、この部分は吹き抜けになっている。
こちらは春節の年越しのときに門に結ばれる、植物の葉っぱ。
福州文化圏出身のL君いわく、彼の田舎でもこういう風習があるけど、結びつける植物の種類がちがうらしい。
ああ。
よく福建省は「福建」としてひとまとめにされがちだけど、実際のところは場所によって言葉も文化も全然ちがうんだよなあ。
福建省の中で内部分裂が起こるんじゃないかってくらい。
独特の網を川に落として、のんびりする二人組。
魚とりたいのはわかるけど、そんな5秒に一回上げてたら入るものも入らないでしょ。
グーグルの衛星写真と、あるんだかないんだかわからない嗅覚をもとに、古そうな街並みを歩き続ける。
長崎ちゃんぽん
そして本日のお昼ご飯はこちら!
長崎ちゃんぽんみたいでしょ。
莆田滷麺といいます。
香ばしく炒めた野菜と、たっぷりの魚介から出たダシがスープに濃厚に染み出していて、太めのかんすい麺に絡んでよく合うこと。
??
それってちゃんぽんじゃん。
実はこれ、本当にちゃんぽんの親戚なんじゃないのかと思う。
Wikipedia には、日本のちゃんぽんの起源が福清市の「燜麺」という料理にあるのではないか、と書いてある。莆田市は福清市から40キロ程度の距離しかないお隣さんなので、このあたりで似たようなものを食べていたとしても、全然不思議ではない。
味なんかちゃんぽんにそっくりだし。
中国では、福清の燜麺よりも、むしろ莆田滷麺のほうが断然有名で、莆田グルメを検索するとこれが必ず一番に出てくる。
莆田市へ
さて、仙游駅の周辺をだいたい歩き回ったところで、莆田市街地へ向かうバスに乗りこむ。
バスに揺られて1時間強ほどで到着した莆田市街地。
さすがは古い街を全然破壊しない福建省だけある。ここ莆田の市街地でも、街の中心部にごっそりと赤瓦の旧市街が残されていて、おまけに城門まで残されていた。
この城門には無料で登れる。というか、門の上が新華書店(中国最大手の本屋)になっていた。
城門の上で、しかも半分吹き抜けになっているこの本屋の斬新さよ。
ちなみに中国では昔から都市のことを「城」と呼んでいて、日本でいう城とはちがうので要注意。
古代から戦乱の絶えなかった中国では、都市というのは城壁か、お堀か、または両方にぐるっと囲まれていて、閉門時間までに畑仕事から帰らないと、夜になると門が閉じられて閉め出されてしまう。
これも、そういう当時の城門の名残り。
ちなみに北京の天安門は皇帝の住む紫禁城の門であって、都市の入り口ではない。北京という都市をかこんだ城壁や城門は、二環と呼ばれる環状道路沿いに一部残されている。
莆田の市街地には、城門の他にも大小無数のお寺や廟があり、さらに教会もたくさんある。
この辺りはなんと言っても、古い時代からキリスト教の布教活動が行われていた地域。中国東南部の海岸線では列車の窓から十字架がのった尖塔をたくさん見ることが出来る。
古い街並みに分け入っていく。
ここの街はただ古いだけではなくて、しっかりと現代に生きている。
宇宙の広がり、中華グルメ
思うぞんぶん歩き回ったあとは、日が暮れたので晩ご飯。
また何か莆田ならではのものを食べなくてはと考え、私たちは歩きながらメシ屋の看板を注意深く観察していた。
そこでLくんが気がついた。
「なんかごはん屋さんの看板にやたら「西天尾」って書いてあるな、、、」
西天尾??
なんだろう、それ。
調べてみると、莆田市にある小さな地名、西天尾鎮のことだとわかった。
どうして莆田のメシ屋には、西天尾の名前を冠したお店が多いのか?
心当たりがあった。
これはおそらく、「大ボス隠蔽現象」だ。
これまでにも何回か出会ったことがある。
この現象をざっくり言うと、千葉にある東京ディズニーランドが「東京」の名前を冠しているのと同じような原理で、それをもっと多重構造にしたような感じである。
たとえば中国に遊びに行って、本場の中華料理を食べたいなぁと思ってお店を探してみても、「中国料理」なんて野暮ったい看板を掲げているお店など、中国にはほとんど存在しない。
中国へ来てからお店の看板をよく見てみると、「四川火锅」「东北饺子店」「老北京炸酱面」「沙县小吃」「杭州小吃」などというふうに、「中国」よりももう一段階くわしい、各地方の地名が見えてくる。つまり、地名の解像度が一段階上昇するのだ。
そしてその中で、例えば杭州に行ってみると、面白いことに地名の解像度がもう一段階上昇する。
杭州では、外地人向けの観光地を除いて、「杭州小吃」というお店は一気に消失し、変わりに出現するのが、「嵊州小吃」とか、「缙云烧饼」とか、「嘉兴粽子」などという浙江省各地の地名だ。
他の地域では「杭州小吃」という店名に集約されていた浙江料理全般が、浙江省へ来ると各地の地名を冠して、地域ごとに細分化されてゆく…。
中国ではこれが延々と繰り返されて行く。
杭州からさらに地方へ出かけると、また同じ現象が、同じように進行する。
例えばこちらは浙江省の山の中、麗水市で撮影した看板 。
「慶元油菜鍋」「麗州飯店」「慶元黄糕」、そして画像にはないが「龍泉山粉餃」などなど。
地方都市へ来ると、杭州では見ることのない小さな地名がまた出現する。どれも麗水市付近の地名だ。
ちなみに「沙县小吃」という看板のすぐ下に「老北京炸酱面」と書いてあるが、福建と北京をごっちゃにしているため、ここ麗水では、福建省の料理に関しては非常に解像度が低いことがわかる。
この、拡大すればするほど情報量が多くなってゆく中華料理のフラクタル現象、中国ではこれが延々と続くので、中華料理の探究はほぼ無限なのだと言えるかもしれない。
中国には県だけでも1300以上あるのだけれど、各県には各県のグルメや特産品があり、実際に各県に行かないと出会えないものがたくさんある。
挙げ句の果てには、県のグルメの下に「となり村では誰も知らないけれど、うちの村ではよく食べる」系のグルメまであるのだ。
中国ではまさに、天文学的な数のグルメが眠っていると言える。
頭がクラクラする。
西天尾について
「莆田市内で西天尾という地名をよく見かけるのも同じ原理だよね」
という点で、Lくんと意見が一致した。
福建省以外の地域では、福建料理は「沙县小吃」などのお店にひとまとめにされてしまう。しかし実際に福建省に来てみると、やはり地名の解像度が上がって、福建省各地の料理が目に入るようになる。
「莆田滷麺」というお店も、そのうちのひとつだ。福建人で、莆田滷麺を知らない人はいないだろう。
そして私たちはいま、莆田市にやってきた。
もちろん莆田市では、「莆田滷麺」などというケッタイな看板を掲げているお店はほとんどない。ここでは地名が細分化して、さらに細かい地名が目に入るようになる。
西天尾とは、莆田料理に強い影響力をもつ地方の集落のことだった。
世に知られる杭州小吃の背景には嵊州小吃が存在し、世界で名高い沙县小吃の背後には夏茂镇が強い影響力を持っている。それと同様に、莆田料理の背景には西天尾镇がひそんでいた。
んん、妙哉妙哉。
実食
ごちゃごちゃとした市場の近くに人で賑わっているメシ屋を見つけたので、Lくんと一緒に入店。
テーブルに置いてある調味料から地域性がわかることもあるので、毎回必ずチェックするようにしている。
中国でお酢と言うと、ほとんどの地域で写真右側の黒い「陳醋」を使うが、ここのお店では透明な「白醋」も置いてあるので嬉しくなってしまう。私は福州以外のお店で「白醋」を見かけたことがない。
手前のお碗は梅菜(高菜)。
奥はLくんの「拌河粉」、手前は私の「拌泗粉」。
私はできるだけパッとメニューを見てなんだかわからないものを注文するようにしているが、今回のこの拌泗粉はなかなかコアな莆田料理だったらしい。
「泗」とは昔は「鼻水」の意味だったそうで、その名の通り、ニュルニュル、ネチャネチャした麺だった。麺の原料は地瓜粉(サツマイモの一種)。
本当は莆田の名物、炝肉を注文したかった私たち。店のおばちゃんがこっちの方がおすすめだよ!と言ってあつらえてくれたスープ。これ、なんていう名前だったか・・・。
2日目に続く。。。。。