しぼりたてチャイナ

何かとディープな中国の知られざる魅力を、無限に生しぼりしていくブログです

木船を作ったそばから燃やし尽くすお祭りに行ってきた ー厦門水美宮送王爺ー

 

 

12月のある日の夕方のこと。

 

大学で人類学を教えている先生から電話がかかってきました。

 

"これから「送王爷」を見に行かない?"

 

送王爷ってなんだろう?聞いたことがあるような、ないような。

 

"もう出発するから、いますぐ来て!"

 

慌ただしいな、もう。

 

タクシーに乗り込んで先生に聞いてみると、今日は厦門市郊外の鍾山村というところで、3年に1度開かれる大きなお祭りがあるとのこと。

 

"ほんとうは朝からいろいろとやってたみたいなんだけど、わたしさっき同僚のウィーチャット見てはじめて知ったの。これ逃したら次は3年後だから、どうしても行かなきゃって思って"

 

夕焼けの中をタクシーは進み、鍾山村に着くころには日がすっかりくれてしまいました。

 

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こちらが鍾山村にある「水美宮」。

 

今回の送王爺で祭りの中心になる廟です。

 

数万人が参加したというお昼の行事が終わったところで、文字どおり「あとの祭り」でした。

 

廟の前におじさんが何人かいたので話しかけて見ると、いろいろと教えてくれました。

 

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”一番盛り上がる行事はお昼に終わってしまったよ”

 

やっぱり。

 

”巨木を切り倒して、一から船を作るんだ。そのあと作った船を大勢の人でかついで、街をねり歩くところがいちばん盛り上がるんだ”

 

なんと。

 

”あとはもう船を燃やす行事しか残ってないなあ”

 

なんと。

 

船を燃やすほうが盛り上がりそうな感じもするけれど、おじさんが見せてくれた動画から、昼間のにぎわいぶりがよく伝わってきた。

 

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沖縄のエイサーで使う太鼓にそっくりの持ち方。福建文化の影響を色濃く受けている沖縄のことなので、不思議ではありません。

 

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船に目玉が書いてあるのは、日本から東南アジアの漁船によく見られる特徴です。

 

おじさん

 

”そうだ、裏にまだおかゆがあるから、よかったら食べて行きなよ”

 

やったあ。

 

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ナツメや蓮の実を入れた甘いおかゆと、野菜を入れた塩味のおかゆをいただきました。うまかっった。

 

道士(道教の坊さん)は何日も前からここで肉を絶った食事をとり続けて、身を清めた状態で祭りを迎えるんだそうです。

 

私たちがあれやこれや質問しまくるのを見て、おじさんは

 

”よし、今年の祭りの実行委員長に会わせてやるからついて来い”

 

と誘ってくれました。

 

ところで、どうやらおじさんは祭りの中心的な人物のうちのひとりらしく、村のほうへ向かうあいだに、いろいろな人がおじさんに挨拶をしてきます。

 

”いまの人はマレーシアから来た人だ”

 

華僑を大量に輩出している場所がらということもあり、マレーシアや台湾などの遠い親戚たちも、この日の祭りのために駆けつけてくるそうです。

 

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 ”ここは蔡氏宗祠だ”

 

宗祠とは一族の祖先をまつる廟のこと。中国南部では一つの村に、姓の数だけ宗祠があり、みんな相当なお金をかけて維持しています。

 

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またこちらの別の廟では、福建南部名物の「歌仔戲」の若い役者さんたちが楽器を鳴らしながらお参りしていました。

 

このあと実行委員長には会えたものの、残念なことに。今日はまる1日声を枯らして叫んでいたせいで全然声が出なくなってしまったようで、また後日訪問させていただくことにしました。

 

おじさんの話で面白かったのが、ここ鍾山村にはたくさんの古い廟があるけれど、どこも文化遺産として申請してはいないということ。

 

”たしかに申請したら通るだろうし、政府から潤沢な資金がおりてくるだろう。でもそうしたら自分たちのしたいように改築できなくなってしまう。自分たちで管理した方がいいに決まってるだろう。修繕費用なんていくらでも出せるし”

 

よっ、お金持ち!

 

特に海外へ出て行った華僑たちは商売で成功していることが多いので、資金面で困ることはないのでしょう。

 

このあと1時間近くにわたって花火を上げ続けていたのを見ても、資金の潤沢さがうかがえます。

 

船を燃やす時間が近づいてきたので、おじさんに別れを告げて、私たちは現場に移動しました。おじさんいわく、いちばん大事な行事はだいたい終わったから、地元の人は燃やすのは見ないで帰ってしまうんだとか。

 

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こちらが燃やされる船。一時間後には灰になります。

 

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集まる観客、詰めかける報道陣、出動する警察。

 

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水美宮の前で花火が上がり始めます。

 

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数万人はいるでしょうか。船を取り囲んで今か今かと待っている人々の上に、実行委員会の人が米をばらまいてお清めをします。

 

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火が放たれました。

 

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あっという間に燃え広がります。

 

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船が燃えているとなりで、獅子も興奮しておどり狂います。

 

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地元の青年たちが、”倒!倒!”と叫んでいます。

 

叫びながら、ハンドパワーを送るかのように手を突き出します。

 

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そもそもどうして船を燃やしているのかというと、「王爺」(鄭成功)の乗った船を海に送り出すためです。海に送って、航海や漁業の安全を守ってもらうのです。

 

だから「燃やす」 とは言いません。「送る」というのです。

 

そして船の真ん中には長いマストが1本直立していて、これの倒れる方向で未来が順風なのか、逆風なのかを占うんだそうです。村の青年は「順風の方に倒れろ!」ということでハンドパワーを送っていたんですね。

 

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ずっと動画を撮っていたので、ここでスマホの電池が切れてしまいました。


このあと船は1時間近く燃え続け、マストはなんとか順風の方向に倒れてくれました。

 

倒れた瞬間はもう大盛り上がりで、みんなで船の周りをぐるぐる回りましたとさ。

 

めでたし、めでたし。