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中国・貴州省の山奥の村で、侗族のおじいさんの家に泊めてもらった 中国大陸【田舎に泊まろう】③ 中国の山奥のまさかの国際度合い

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中国・貴州省の山奥の村で、侗族のおじいさんの家に泊めてもらった 中国大陸【田舎に泊まろう】 - しぼりたてチャイナ

 

中国・貴州省の山奥の村で、侗族のおじいさんの家に泊めてもらった 中国大陸【田舎に泊まろう】② - しぼりたてチャイナ

  

 

山道を1時間ほど歩いてようやくたどり着いた貴州省の「归林寨」という名前の村。

 

航空写真でみると外界と閉ざされているふうに見えます。貴州省の山奥の村がいったいどんな感じなのか、期待が高まります。

 

  

途中ですれ違ったおじさんにジロジロ見られながら、村の中へと踏み入っていきます。

 

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どの家も木造二階建て建築で、屋根は瓦ぶきです。

 

 

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村の洗い場と思しき場所。

 

沢から水を引いてきているのでしょう、絶えず水がチロチロと流れています。

 

 

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村を貫く一本道。なぜかほとんど人の気配がしない。

 

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村は山の谷間ではなく、山の尾根の高台で開けたところに広がっています。

 

この場所の地形に合わせて住んでいるのか、それとも各民族によって好みの地形があるのか、興味深いところです。

 

 

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屋根の上にシーサーらしきものを発見!

 

 

5分もかからないうちに村を端から端まで歩き終えると、すれ違ったおばあちゃんに話しかけられました。しかし何を聞かれているのか全く聞き取れません。

 

おそらく「どこに行くんだ」とでも聞かれたのだろうと思い、普通話で「ちょっと見に来ただけなんですもう帰ります」と言って見ましたが、全く反応がないので、きっと普通語は話せないのでしょう。

 

おばあちゃんはそのまま向こうに歩いて行ってしまいました。

 

 

早めに山を下り、帰って宿を探さなくては、と思い、私は来た道を戻り始めました。

 

 

すると、村を出たところで、また1人のおじいさんに普通話で話しかけられました。

 

「誰か探しているのか?」とか聞かれたんだと思います。私は「伝統的な村をちょっと見学したくて来てみただけです、これから帰ります」という旨のことを伝えると、「ああそう」とひとこと言い残し、そのまま歩き去って行きました。

 

引き続きしばらく歩いていると、そういえば、さっきの村が何民族の村だったのか、まだ知らないことに突然気がつきました。

 

貴州省の南部はいろいろな民族が混在しているし、私もそんなに詳しいわけではないので、パッと見ただけではわからなかったのです。

 

自分の行った場所がどんな場所なのかわからずじまいというのは何だか間抜けだと思ったので、走って村へ戻ってさっきのおじいさんを捕まえて聞いてみると、広東なまりに似た、語尾を伸ばす特徴的な調子で、「ここはもちろん侗族の村だよー、知らなかったのー?」と教えてくれました。

 

続けて、

 

「泊まるところなかったらうちに泊まるといいよー、宿代もタダだよー」

 

と言われました。

 

 

え?そんなに簡単に泊めてもらえるの?

 

会ってからまだ数言しか話していないのに。そんなに簡単に私が信用できるんですか?

 

しかもどこから来た何物なのかもまだ明かしていないのに。。。

 

 

どうしてそんなに簡単に泊めてくれたのかについては、このあとなんとなく明らかになります。

 

 

 

しかし中国の村というのは本当に開放的だなと、いつも思います。

 

もちろん場所にもよるのですが、都市部では何をするにしても利益関係が絡んでしまう人間関係に対して、農村部ではアジアの素朴なおおらかさがまだまだ残されているような気がします。

 

そういえば、以前に山西省の山奥の村で泊まった民宿でのこと。あらかじめ電話で予約をしておいたにも関わらず、私が1人で旅行しているのを見て、「寂しそう」と同情されてしまい、宿泊代を受け取ってもらえなかったことがありました。

 

面白いのはその前日、私は好意で乗せてもらったと思っていた家族連れの方にしっかりと車のガソリン代を請求され、その上彼らの親戚が経営している旅館に半ば強制的に連れて行かれてしまい、結局やっぱりお金なのか、とがっかりしていたところでした。

 

 

中国ではこのあたりの振り幅が日本よりも大きいような気がします。

 

ですので、中国へ初めて来た人は騙し屋を好意だと勘違いしたり、逆に本当の好意を騙しだと疑ったり、、ということがよくあるかもしれません。

  

 

中国の田舎は超インターナショナル

 

さて、そんなこんなでおじいさんの言葉に甘えて、こちらの村に一晩泊めさせてもらうことになりました。

 

 

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おじいさんについて歩いていきます。

 

目の前にあるのがおじいさんのお家。(今更になって気がついたがおじいさんの名前すら聞き忘れてしまった)

 

木造で2階が吹き抜けの、典型的な侗族のお宅です。

 

 

中はこんな感じ。

 

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廊下です。

 

古そうに見えますが、これでも築20年くらいだそうです。

 

伝統的な家屋は長いこと使い倒すのかと思いきや、意外としょっちゅう建て替えているみたいですね。

 

 

おじいさん曰く、「ばあさんが孫と外遊びに出ているから、帰ってきて飯を作るまで座ってのんびりしててくれや」とのこと。

 

おじいさんがあまりにも気軽に見知らぬ人を泊めることに私は興味を持ちました。そこで、村に誰かお客さんが来るときはいつも私のように泊めてあげるのかと尋ねてみると、

 

「そうだよー。この前はロシア人も泊まって行ったさー」

 

 

ロシア人?

 

ロシア人がこの山奥の村まで来たことがある?

 

ロシア人がここまで何をしに来るの?

 

 

実はその時まで私は自分がこの村へ来た初めての外国人だと勝手に思い込んでいたのでした。

 

とんでもない山奥へやってきた、と勝手に自負していたのでした。

 

 

 

おじいさん「ロシア人だけじゃないよー。この前は村に来たイタリア人もここに泊まっていったよー」

 

 

イタリア人?

 

 

まあ、欧米人はいいとしても、さすがに日本人はここまでこないだろう、と思い直し、

 

 

「あの、実は僕も外国人なんです。日本から来ました」と告白すると、

 

「あー日本人かー。日本人なら2、3年前に夫婦で遊びに来たのがいたよー」

 

 

あらあら、日本人も来たことあるのかい。

 

 

でもどうしてここに?

 

 

「みんなこの村の建築を研究しに来るんだー」

 

 

付近の山の中には、すでに観光地化された村も含め、山ほど少数民族の村があると言うのに、どうしてこの村にやって来るのでしょう。

 

それとも、どの村にも満遍なく外国人が踏み入っている、今はそんな時代なんでしょうか。

 

 

そしてさらに話を聞いていくと、ますます耳を疑う国際的事実が明らかに。

 

「この村の若い人はほとんどが大都市に出稼ぎに出ているんだー。そのうち5人は海外で働いているよー」

 

わずか20戸足らずの村から5人も海外へ出て暮らしているとは。

 

 

「1人はロシアで、1人はベトナムで、後の3人は日本に住んでるよー」

 

 

日本に3人も!

 

 

今やこんな辺鄙な(私が勝手に辺鄙だと思い込んでいる)山奥の村まで日本とつながりがあるのか。感慨深い。

 

「日本の2人は仕事をしていて、1人は留学中なんだー。もう2年以上帰って来てないよー」

 

 

若者はほとんどが村を出て生活しているんですね。なるほど村の中に人気がないのもうなずけます。

  

 

 

すると戸口の方から子供の声が聞こえて来ました。

 

おばあちゃんが孫を連れて帰ってきたようです。

 

おじいさんも立ち上がって、一緒に晩御飯の支度を始めるそうです。

 

さて、侗族の一家はどんな御飯を食べているのでしょうか。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

※そういえば、中国では誰かを連れてくるときの手順が日本と違う気がする。日本的な発想だと、誰かを家に呼んで一緒に食事するとか、誰かを泊めるとか、そういう時はあらかじめひとこと家の中に言っておいて、家族で共有しておくもののような気がするが、中国では連れてきてから直接「連れてきたよ」と伝えることが圧倒的に多いような気がする。

 

この時も、おばあさんは私が来たことなど一切知らないで帰宅してきたが、私を見ても全く動じもせずに普通に接してくれた。

 

 

友人と遊ぶ際にも、今日は誰々が来る、とか、誰を呼んだよ、とか全然事前に言わない。いつも知らない人が突然やってきて、自然に合流する感じがある。

 

なんなのだろう。

 

今日は誰々が来ますよー、といった、改まったような、普段どうりにリラックスできない雰囲気を嫌うのかもしれない。