冬に入ってから、何かと焦るようになってきた。
心ここにあらずな状態が続いていて、いろいろなことがやりたいはずなのになかなか手につかない。理由はわかっているのだけれど、今の自分の力ではどうしようもできない。
こういう時に脳裏に浮かんでくるのは、いつも荒野の原風景。
どこかとてつもなく寒いところへ行って、自分の身体をとことん痛めつけてみたいと思った。
見渡す限りの雪原をどこまでも歩いて行き、
雪深い原生林の中で丸一日ひとり座って、糸くずまみれになった頭の中を澄みきった空気で洗い流してしまいたい気持ちだった。
ちょうどいいことに、中国にはとてつもなく寒いところがある。
漠河。
冬が来るたびに天気予報のサイトを開いては、漠河の気温をチェックしている。
毎年9月頃になると雪が降りはじめ、12月に入ると氷点下40度まで気温が下がる。
毎年毎年、同じ国に属するこの極寒の地をなんとなく意識していた。
とにかく行ってみて、心や身体をきれいにしてこよう、と思った。
上海までは飛行機で200元。
上海で用事を済ませたあと、19時上海駅発の列車に乗り込み、一路ハルビンを目指す。上海駅は魯迅の小説に描かれるような江南一帯の冬らしく、寂しくて暗い冷たい雨が降っていた。
ハルビンまでは距離にしておよそ2500キロ。23時間43分座り続けて、翌日の夕方18時半にようやく到着する。
列車に乗り込むとそこはドンベイ話(中国の東北弁)の大合唱だった。
車内は9割以上の人が上海へ出稼ぎに来ているドンベイ人だった。早めに春節休みに入ったのでみんな郷里に帰るみたい。
というより、ドンベイに帰る前から、もう車内がドンベイそのものと言ってよかった。
みんな安心しきってドンベイ丸出しでしゃべりまくっている。はじめから知り合いだったかのように知らない人と世間話を始めるのがドンベイの特色である。みんな本当に話好きだ。
おまけに乗務員も全員ドンベイ人なのである。車掌さんも乗客と一緒になってドンベイ話をかっ飛ばしている。
私の席の周りでもごく自然にドンベイ話のおしゃべりが始まったので、私は巻き込まれてしまわないか不安でいっぱいだった。
大阪の西成でうっかり標準語を話したらおっちゃんたちにびっくりされてしまうのと同じように、ここでも下手に南方+日本なまりの普通話を話してしまったら、みんなから怪奇の目で見られてしまうんじゃないかと思うと、完全に心がふさがってしまう。
ある程度の中国語ができるようになったというのに、人見知りがどんどん深刻になっているのはどういうことなのだろう。
全然話せないときはむしろ自分から人に話しかけていたというのに。
トイレに立って、席に戻ってくるだけで、向かいのおじちゃんに、
「よっ、戻ってきたか!」
と言われる。
人情味というか、農村っぽさというか、そういう感じがすごくいいのはわかるのだが、それでも話しかけられると必要以上にあたふたしてしまう。
これって言語の学習に一番向いていない性格だよなとつくづく思う。
そんなこんなで、眠ったり、眠ろうとしたり、うろうろしたり、立ったり座ったりしていたら夜が開けた。
天津駅に到着しようというころだった。
続く
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