かつてアジアの魔都と呼ばれ、異様な繁栄を極めた中国経済の中心地、上海。
その上海のさらに中心地と言えるのが人民広場である。
8月のある日、私は1人の友人を伴ってその上海の心臓部に飛び込んだ。
友人の J くんは身長が180cm 近くもある。普段の動きはどこかもっさりとしているものの、地元のストリートで鍛え上げたその実力は確かで、我々が上海へたどり着くまでの2週間のうちにもすでに道端で何人か片付けるのを私は見ていた。
向かうところ敵なし。それほどの実力である。
J くんは福建人である。
これまでほとんど地元福建を離れたことがなく、上海へ来たのも今回が初めてだった。
もちろん、人民広場の噂など、このときの彼は知る由もなかった。
広場では穏やかな木陰で老人たちが談笑したり、トランプに興じたりしている。
すぐとなりの南京路が観光客でごった返しているのとは対照的に、ここには緩やかな夏の時間が流れていた。
しばらく歩いていると、一軒の建物に突き当たった。平屋建てガラス張りの、何の変哲もない建物である。どうやら中では座ってお茶が飲めるらしい。
その日は例によって日差しがきつく、我々は飲み物と冷房を求めてたまらずガラスドアを押した。
このとき、J は少しの警戒心も抱いていなかったのである。
私だってそうだ。
どう見ても、ただ老人が各々集ってお茶を飲んで盛り上がっているだけである。
しかし我々はここが上海のセンターのまたセンターであることを忘れていた。魔都の心臓であるにはあまりにも平凡な光景であった。
正確に言えば、この場所に足を踏み入れたとき、彼はこの場所の異様さに気がついていたという。これは後になってから教えてもらった。
気がついたにも関わらず、彼は、それを滑稽としか捉えることができなかった。
彼はそれを「ミーハー」と形容した。
ここに集う老人はみな「ミーハー」である、と。
すると1人の老人が我々に助けを求めに来た。聞くとスマホゲームの更新を手伝って欲しいという。
「こういうの全くダメでね。孫にやり方聞いても怒られるから」
老人はそう言って頭を掻いた。
我々がいとも簡単にその象棋アプリ(中国象棋)の更新をやってのけると、老人は
「ありがとね」
と一言残して去っていき、老人たちの輪の中に吸収された。
さて、我々もお茶を注文して、上海語で高らかに談笑する老人たちの間に席を見つけ、一息ついた。
しばらくすると、
先ほどの老人が象棋セットを持ってこちらへやって来た。
感謝のしるしにと、象棋セットを貸してくれるという。2人で遊んでいいよ、と。
しかし私は中国象棋の打ち方を知らない。
なので J くん1人では遊ぼうにも遊べない。
「待って、一緒に打ちませんか?」と言って老人を引き止める J くん。
今となって思えば、ここが運命の分かれ目だった。
「いやいや。わたしは、弱いから」
と謙遜する老人。
「一回でもいいからやりましょうよ」
とニヤニヤしながら誘う Jくん。
J くんは国家2級の象棋手である。(中国ではスポーツをはじめとして様々な分野に国によるレベル認定が存在する)小学生の頃には地元を代表して全国大会に出場したこともあるほどの強者だ。
「じゃあ、一回だけ」
老人もついに折れた。わたしは老人に席を譲った。
そして彼らは象棋を打ち始めた。
すぐに終わると思っていたら、えらい長い時間打つことになった。
わたしは打ち方を知らないので、形勢がどうなっているのかが全くわからない。棋面を見ても何も読み取れないので、彼らの表情を見ることにした。
老人は、一手打つごとに難しい顔を浮かべてあれやこれやとじっくり策を練っている。対する J くんは相変わらずニヤニヤしたままコマを進めている。
J くんが一手打つたびに、老人は「んっ」と声を漏らして考え込んでしまう。
やっとこさコマを進めると、 J くんがすぐにポンとコマを進めて、老人はまた考え込む。
しばらくして私は見飽きてしまったので、上海語で議論を戦わせている老人たちや、新聞を振り上げて何かを必死に主張しているおじさんなどを眺めたり盗撮したりしながら穏やかな夏の午後を消耗していた。
ふと見ると、観客が1人増えていた。背の高い老人が傍らに立って、2人の戦局を眺めている。
中国ではよくある光景である。象棋やトランプ遊びをしているテーブルの周りに人々が寄ってたかって、ああでもないこうでもないといろいろと口出しするのである。
このときも例外ではなく、案の定、口出しをした。
「はっはっ。全然ダメじゃんw」
老人を見やると、相変わらず難しい顔をして考え込んでいる。
が、しかし、眉をしかめて苦笑しているのは、J くんの方であった。
「そこ行っちゃダメだろう」と観客が言うと。
「うー、打ち間違えちゃった」と J くん。
J くんは打ち初めとはうって変わって、もはや泣き出しそうな表情である。どんどん追い込まれているというのが聞かなくてもわかる。
老人の表情は終始乱れず、難しい顔を浮かべたまま、一手また一手とコマを進めている。
最後に緊張の糸が解けた。
「あ〜っ」
どうやら J くんは負けてしまったらしい。
「あ〜っ」
「もう一回やるか?」
老人はえらく嬉しそうである。
しかし我々は時間がなかった。乗らなければいけない電車の時刻が迫っていたので、ここでおいとますることに。
話としては、「友人が上海で老人と象棋を打って、負けてしまった」、ただそれだけのことなのであるが、あそこで一体何が起こっていたのか、帰り道に事情を聞いて、私はようやくことの重大さを知ったのである。
「见鬼了!!谁会想到那老人下得 tmd 这么强!我在路边下棋从来没有输过呢!!歪啦还」
(クソったれが!あの老人、誰があんなに強いと思うか?俺はストリートで象棋やって初めて負けたよ。ちくしょう)
彼の解説を総括すると、こうである。
我々がこの建物に入ったとき、中では多くの老人が象棋を打って遊んでいた。
実物の象棋で遊んでいる人もいれば、スマホのアプリで対戦している人もいる。
そこで彼の目に留まったのは、実物の象棋で遊んでいた彼らの遊び方である。
「はじめに見たときは一瞬わけがわからなかった。だってここではみんな普通の打ち方とは違うから」
中国の老人ストリートテーブルゲーム事情に関して言うと、トランプや麻雀象棋の遊び方が地域によって異なる場合が多いのに対して、象棋のルールは全国的に統一している方なのだという。
「でも彼らがやっていたのは『掲』という打ち方だった。これは一般的な『明』打ちとは違って、最近になってからゲームで流行り出した打ち方。だから最初、上海の老人はなんてミーハーなんだろう、って思ったんだ。流行を即座に取り入れているからね」
後になってから彼が調べると、一見ミーハーに見えた『掲』打ちは、80年代から広州のベテラン棋手たちが普通の打ち方にアレンジを加えた遊び方らしく、上海ではとっくの昔からこの遊び方に切り替わっていたという。
そして最近になってからようやくスマホの象棋ゲームがバリエーションの1つとして『掲』打ちを取り入れ始めたのだが、もちろん彼が育った農村部にこの遊び方が普及しているはずもない。
『掲』は決してミーハーではなく、逆にベテラン棋手の証だった。こうして彼はこの「異様」を読み間違えてしまったのである。
ちなみに、これまで百戦錬磨だった J くんだが、前述したように彼は幼少期から地元のストリートで老人たちと棋を交え、技を磨き、ある程度大きくなってからは地元最強の棋手を師匠と仰ぎ、師匠の象棋学校、つまりジムに入門してさらなる研鑽を積んだ。
彼曰く、ストリートの打ち方とジムの打ち方には違いがあるという。ストリートの強者がジムでは全く歯が立たない、ということもあるし、反対にジムの師匠がストリートで普通の農民相手に苦戦する、ということもあるらしい。
ストリートでの実戦感覚と、ジムで学んだ膨大な理論、彼はそのどちらの打ち方もしっかり身につけていた。その上で上海に乗り込んでいたのである。
そんな、地元では定評のある実力者 J くんが、ここではいとも簡単にうちまかされてしまったのである。
「見たことない打ち方だった。例えるならば、福建人はお互いにナイフを持ってつき刺し合うのが主流なのに対して、上海人は相手が手を出してくるのを待ち構えていて、出てきた手をガッと捉えて、あれよあれよという間にひねり倒してしまうんだ」
そして彼のプライドを粉々に打ち砕いたのは、隣で観戦していた老人の一言であった。
「なんだお前、あれに負けたのか。。あれはダメだ。ここじゃ一番弱いぞ。」
「!!!」
J くんの受けた衝撃は想像に硬くない。あんな弱いやつに負けてしまったお前は一体なんなんだ、と暗に嘲笑されているようである。
老人は続けて言った。
「ほら、あそこにいるやつ、あいつなんか胡栄華に勝ったことあるど」
「胡栄華!!!」
中国の象棋界では泣く子も黙る天才中の天才棋手、胡栄華。中国の象棋選手権で20年連続チャンピオンという偉業を持ち、革新的な打法を数多く発明した伝説的な棋手である。
「どうやら俺ら、とんでもない場所に来てしまったらしいね」
上に上がいるものである。
すっかり弱気になってしまった J くんは、なんだか恐ろしいことを言い始めた。
「さっき何回か打ち間違えたのに、なかなか負けなかったのは、きっとメンツをくれたんだと思う。僕があんまりにも弱いから」
わざと試合時間を伸ばしていたのか。
「あの老人も、弱くてみんなから相手にされないからゲームで象棋やってたのかもしれない。。。だから自分の象棋セットも余ってて。。。」
言うな言うな。
「上海のレベルが高いことは前から知っていたけれど、まさかこんな地味な場所にバケモノみたいな民間棋手がゴロゴロしているなんて、、、」
「もうプライドも何もズタズタだ。。」
そう言って彼はこうべを垂れた。
「仕方ない。里に帰っていちから鍛え直そう」
と、彼は言いたかったのかどうかわからないが、そんな彼も今では立派な大学3年生である。