しぼりたてチャイナ

何かとディープな中国の知られざる魅力を、無限に生しぼりしていくブログです

中国西南部 カルスト大帝国の逆襲(6)ポコポコ山に囲まれて


広西壮族自治区中部に位置する大化瑶族自治県からバスに揺られること1時間あまり。

 

ポコポコ山に囲まれた六也乡という街へたどり着いた。地図で見る限り、この辺りのポコポコ山々はこれまで見てきた山の険しさとはまるでレベルが違うようである。

 

 

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ここでいただくお昼もやっぱり「湯粉」だ。

 

ほんとうにどこへ行っても「粉屋さん」ばかりで、他の食べ物屋さんが見られない。

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しかし、メシ屋で売っているのが「粉」ばかりだと言って、この辺りの人って普段から「粉」を食べるのが大好きなんだな、と判断してしまうのはちょっと軽率である。

 

なぜかというと、家の中で食べるものと外で食べるものの種類には、多少の違いが見られるのが普通だからである。

 

例えば、福建省の古田県へ行ってみると、道端で売られているのはもっぱら「锅边糊」やら「大条面」やら「盒面」などの小麦製品ばかりであることに気がつくだろう。しかし古田の友人いわく、家での食事はもっぱらお米がメインであって、麺などはほとんど食べることがないのだという。 これは本人も不思議がっていたのだが、おそらくは、家で普段食べられないものだからこそ、外出してまで食べる需要があるのだろう、ということだ。

 

日本でもそうである。未だに数多くの中国人が、日本人は毎日のように家で刺身や寿司を食べていると思っている。確かに道端には寿司屋も多いし、各種ラーメン屋も非常に多い。しかし、ああいう本格握り寿司や本格ラーメンを家でしょっちゅう作る人などほとんどいないであろう。それと同じことなのではないか。

 

日本人は家で日本料理ばかり食べているワケではなく、いろいろな国の料理がごちゃ混ぜになった、雑食系のメニューを食べているということを、多くの人が知らない。というか、普通に旅行に日本に来ただけでは、現地人の家で何を食べているのかなど、知る由もないのだ。

 

私は広西で誰かの人の家にお邪魔したことがないので、彼らの家での食事についてははっきりしたことは言えないのだが、この辺りではおそらく外では「粉」を食べ、家では「米」を食べるのが主流なのではないかと予想している。

 

いつか「中国全土主食マップ」なんていうのを作れたらとっても楽しいと思う。

 

出発しよう。

 

私は車道の通っていない、徒歩でしかたどり着くことのできない、ポコポコ山に深く隠された村を訪ねてみたかった。衛星写真で見てみると、六也乡の近くの山の中に、かすかに山道が見えるので、そちらの道をたどって行ってみることにした。山道の先には数戸の家が見えている。さらに、うまく山越えができれば、国道へ出ることができるので、そこにはバスもたくさん通っていることだろう。

 

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石灰岩地帯なので、やはりところどころに洞窟が開いていて、水が溜まっている。

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排水のパイプなのか吸水のパイプなのかわからない。

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壊れた水中眼鏡が転がっていた。地元の子供が泳ぎに来るのだろう。カルストが身近にある生活である。

 

小さな蛇がにょろにょろと道を横切って行った。何の蛇だかよく見えなかったが、この先よく注意しなくてはならない。広西は名前の知られた蛇地帯で、毒ヘビも何種類も分布しているのだ。

 

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しばらく道を進んで行くと、目の前の山にぽっかり空いた、大きな洞口が見えてきた。よくよく見るとレンガが積み上げてあるようなので、あそこまで登っていく山道があるのではないか、と思った。

 

すぐ近くでおじさんが一人、畑仕事をしていたので、上の洞窟について聞いてみた。普通話が通じるか心配だったが、全く問題なかった。

 

「上の洞窟の入り口はもう封鎖されてしばらくたつから、道も通じてないだろうね。何十年も前に戦乱が激しかったころ、みんなこの上の方にある村に避難して暮らしていたんだ。一番多い時で百人以上いたんだけど、今はもう誰も住んでないよ。畑が上にある人がたまに作業へ行くだけだ。山歩きに来たの?おおそうかそうか、行っておいで。向こうの方に道があるから探してごらん」

 

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10分くらいヤブを漕いでようやく見つけた道

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来た道を振り返る。下に見えている町が六也乡

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石畳の道は相当に磨り減っている。よほど長い年月使われてきたのだろう

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来た道をまた振り返る

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20分ほど登ると峠を超えた

まだ4月の頭なのだが、このとき気温はすでに30度を超えていて、全身汗でびしょびしょになってしまった。熱中症も警戒するような暑さである。しかし、山道の両脇に時おり出現する小さな岩のすき間には、なんと冷風が吹き出しているところもあったので、岩かげに入って天然のクーラーを浴びることができた。もちろん蛇に警戒しながら。

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山の向こう側へとたどり着いた。狭い谷間には畑が広がっている

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こちらの谷では、はるか下の方で人が一人農作業しているのが見えた

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畑は石灰岩を棚田上に並べて作られている。とてもマメな仕事ぶりだ

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岩が黒いので石灰岩ぽくないなと思っていたが、こちらの落石で砕けた岩を見てみると、やっぱり中身は白いチョークだった

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もう1つの村に下りてきた。途中でまた蛇に出くわす

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車道が通っていないので、これだけの建築資材はすべて人力で運んできたことになる

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ややっ、おじさんに発見されてしまった

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おじさんは腹減ったか、と言ってバナナをくれた(厳密にいうとこれは芭蕉

夫婦で農作業の休憩中だった。二人してここに住んでいるのかと思って聞いてみたら、家はここではなくて、下の六也乡にあるらしい。ここへ住むのはとても不便なので、今この村に住んでいる人は誰もいないという。毎日山を登って来て農作業をしては、夕方また下界へ下りて行くのだそうだ。ここは1989年に建てたお家で、下からコンクリートを担いで上がって3年がかりで建てたお宅だそうである。

あと1つ山を越えれば国道へ出られそうだった。実際、クラクションの音なども山ごしに聞こえていたので、この山を超えて国道へ行ける道があるのかどうか、聞いてみると、

「昔はあるにはあったけどな、今はどうかな。それにすごく険しいぞ。山を登ったあと急斜面を数百メートル下りないといけないからな。おれは2年前に、そのとき飼っていた牛を国道まで下ろしたことがあるけど、あの道はそれっきり使ってないな。本当に一苦労だった。今はもうヤブで埋まっちゃってるかもしれないな。行ってみたいか?まあ行ってみてダメそうだったら戻って来ればいいよ。長袖はあるか?長袖は。草で腕切っちゃうからな。電話番号教えたるから、なんかあったら電話してな」

 

そして親切にも山道の入り口まで案内してくれた。

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真ん中に見えるのがさっきのおじさんの家。一応この辺まで登って来たものの

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途中で道も何もわからなくなってしまったので、15分くらいで引き返してきた

「やっぱりダメだったか。うん、やめといたほうがいいよ。ヤブだらけだもん。そういえば、どっから来たんだ兄ちゃんは?おお、福建か!おれらも福建から来た、あの、なんだっけ、そうそう、ラムガーだよ!」

 

ラムガー?

 

「ラムガー、ラムガー。林家だな、普通話だと」

 

おお。広東語読みの「林家」か!きっと福建省からある時期に広西へやって来た移民なんだろうな。

 

そういえば、前日に私をバス停までバイクに乗っけてくれたおばちゃんも自分は福建の林だ、と言っていた。たくさんの林さんが広西に引っ越して来たみたいだ。

 

「じゃあ、大化に帰る最終のバスに間に合いたいんで、先に帰りますね」

 

「おう、また遊びに来てよな」

 

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なんとか間に合った六也乡から大化瑶族自治県へ行くバスの最終。しかしこの日は広西壮族自治区特有の三連休「3月3日」の最終日だったため、翌日の授業に合わせて大化へ帰る中学生たちと鉢合わせになってしまった。

 

座る場所はおろか、立つ場所もほとんどなく、人の荷物にまたがっておかしな姿勢で立たなくてはいけない。しかしなんとか一番前の窓際は死守した。

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来る時には見えなかった洞窟。運ちゃんは学生が最終便に集結したことに対してずっと文句を言っていた

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1時間ほどでまた大化瑶族自治県に帰ってきた。写真は紅水河にかかる橋より

 

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「榨粉」 お味噌かナンプラーのような香りがする

 

バスターミナルのそばで、念願の1碗である「榨粉」をいただく。なんだよ最後も結局「粉」かよ。いえいえ、これだけは他の「粉」とは違って、麺に味がついている。なんでも、あらかじめ発酵させた生地をところてんのようなシャワーヘッドで押し出して作る麺らしい。これはめちゃくちゃうまかった。

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日はまた暮れる。南寧へ向かうバスより